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zoom RSS 「私が観た舞台」が全て

<<   作成日時 : 2017/02/05 16:37   >>

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ちょっと面白いなと思ったこと。

ある役者さんが素敵な持ち役を持っていたのに私はそれを観たことがない、という話からの考察(ぶっちゃけ石丸幹二さんのラウル@「オペラ座の怪人」ですが)・・・。

私は、舞台は瞬間芸だと思ってます。
その舞台に至る過程、歴史、経歴、経験がどんなものであれ、そこで今自分が見ているものが全て、それがその瞬間の完成形という考え方。
もちろん過程が全く関係ないと思っているわけではなくて、そのことを踏まえた上で、ということだけども。
これは、私が舞台の制作に全く関わったことがなく、観客としてのみあの暗がりに生息する人間だというところも大きいと思うし、当然ながら観劇をみ始めた頃と今では、私自身の経験も違うということもあると思う。

(最近になって、ようやく自分の舞台に対する気持ちが言葉にできるようになって来ました。)

全く同じ演目なのに、初日と千秋楽では大きく感じかたが変わることがあります。
特に演じる期間が短い小劇場系では、1ステージの経験値が大きい。稽古100回やっても本番1回の方が役者さんの経験としてははるかに大きいんじゃないでしょうか。
この、初日と千秋楽の差が小さいほど、こなれた舞台、ということになるのだろうけど、初日であろうが千秋楽であろうが、「私が観たステージ」が全てなんです。
一期一会。

ロングランや、上演期間が短くても複数回観た時など、前回との違いに気がつくのが楽しい時もあるし、そのことを話題にすることもあるけど、基本的には複数の”瞬間”を観た、という感覚。
昨日の芝居はこういうことがあったから、今日はこういう風に変わっていた、というような場合も同じ感じなのだと思う。
昨日は昨日。

1つの劇団や役に長くついている役者さんには、この人なら大丈夫、彼が観たい、と足を運ぶ役者さんもいるけどね。高井さんとか、萩原さんとか、西尾さんとか、吉原さんとか、濱田さんとかミュージカルの人に多いかな。 
仁左衛門様は別枠。

お友達の中に、「その役者さんの今に、その人の過去の役が反映しているのを感じながら、今のその役を見る。」
という方があった。
同じ本質を観ているとしても、そして結果的には同じことを考えているとしても、私と彼女の思考の過程は違ってる。
私は、何月何日何時開演の「なになに」という舞台の「なになに」という役を演じる石丸さん、が全て。だからもう観ることのできない「ラウルを演じた石丸さん」がモーレツに観たい。
(石丸幹二さんを例え話に使ってごめんね。)

私は今、心の中で追いかけている役者さんが数人いますが、ご本人を追いかけているわけではない。
ま、もちろんその方々個人を追いかけていることに変わりはないのだけれど、その役者さんが役を演じているところが観たいということなのです。
誤解のないようにいうと、ご本人達すっごく素敵な方ですよ。
でもその方の誕生日とか結婚してるかとか特に興味なし。
(血液型はちょっと知りたい 笑)
例えば、お母さんになった女優さんが、なる前に演じた作品を再演したとしても、そのことを踏まえながら観ることはしない。
純粋にその役者さんが、今この瞬間演じる役を観る。そこに前にはなかった母性を感じたとしたら、それはそれでそういうこと。

どういう役を次は演じてくれるのだろう、とワクワクします。
アイドルの追っかけと、その辺感覚的に違うのだと思う。



だってカルロスはなぜジェラちゃんと別れちゃったのよ、とか思うもの。
(わかる人だけの話で恐縮)

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